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SAROMAN BLUE 鈴木健司

SAROMAN BLUE 鈴木健司

第4回小江戸大江戸200k完走記〜第2章〜

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スタートを待つ大江戸参加のランナーがたくさん準備をしている。とりあえず後半に向けて着替えをしなくては。混雑する建物の中に入り預けていた荷物を受け取る。1階に着替える場所はなく2回に上がる途中の階段にスペースがあったので大きな荷物を置いて作業を開始した。
すると更衣室から降りて来た有美さんを見つけて『いちご~!』と声を掛ける!大江戸には有美さん・イトーさん・クリスさん・岡山からのもへいさんと4人が参加。せっかくなので速攻で着替えようとまず前半の上半身のウエアをすべて脱いだ。後半のウエアリングはこうだ!ファーストレイヤーにはレフラーのノースリーブアンダー・セカンドレイヤーにCWXの裏起毛柔流・そしていちごオレジャージとした。前半のレフラーのロングスリーブアンダーは脱がなくても良いくらいサラッとしていたが、気分転換も含めて交換した。実際は前半にノースリーブアンダーを持ってくるべきだったと反省。
スタート5分前に出発準備は完了し記念撮影をしてからスタートを迎えた。大江戸のスタートには3分程度掛かった。せっかく大江戸のメンバーと一緒になったので楽しく走れるかと思いきや、有美さん・イトーさん・もへいさんの3名はキロ5分くらいでトンデモナイスピードだった!すぐに姿は見えなくなり行ってしまった。有美さんにはミッションがあり、翌日の仕事には出ないといけないという。そこで都心を朝まで走りまくり、皇居周辺でシャワーを浴びてスーツに着替えて出勤ということだ。無事ミッションクリアを期待したい。僕はクリスさんと一緒に新宿の歩道橋まで行ったが、それでも7分くらいだったので自らのペースに戻すため先に行っていただいた。
家族とスタート前に連絡が取れ左側のコンビニにいるということだったので、いちご~と応援するようにメールを送るとのすごいスピードだったとあとから聞いた(笑)国道254号線沿いにはこの後はコンビニの数が極端に少なくなる。家族の待っていたセブンイレブンにて川越で何も食べられなかった分お腹が空いていたので、牛丼を買って車の中で食べた。家族とはここでお別れ。足の痛みが出てきたのでこの先は英ICまでも10キロで90分は掛かりそう。日付も変わってしまうので、今日はここまで。明日は都内なので埼玉県に帰ってきたら連絡しようかな?長い時間ありがとう!次女ペコちゃんが大声でガンバッテ~~!と背中を押してくれた。

この辺りの歩道はとても走りにくい。斜めになっていたり段差が多いので気になってしまう。歩いたり走ったりで進んだ。しばらく進んでも抜かれることは少ない。何人かのランナーをかわして英ICを目指す。途中でトイレ休憩と思い反対側のセブンイレブンに向かったが、使用中が長く済ますことができなかった。仕方がないので少し我慢しながら次のコンビニを探す。
目印となる英ICには午前1時に到着。立体交差をくぐり抜けて右側車線を池袋方面へ進んで行く。ここからは下見はしていない区間だが、車で何度か走ったことがある。また並行する東武東上線の駅や武蔵野線などが目安となり池袋を目指すにはどこまで来たかがわかるのも良い。雨はこの辺りでは降ったり止んだりを繰り返す。
やや登りが多いコースを走っては歩きの繰り返し。平坦になれば脚を運ぶことはできるので、寒さも気にならずに和光市を抜けて成増付近を通過する。
コースは緩やかな登りが続き、雨脚も強くなってきた。なか卯の看板があり中を覗くとランナーの姿を見ることが出来たが、この雨の中で一旦止まるという選択肢はなかった。ひとまずは池袋の曲がり角(熊野町)を目指したかった。夜用に家族から貰ったグローブは既に濡れてきてしまい、着けないよりは寒さをしのげる程度までになっていた。
大宮バイパスとの交差点からはまた知っている道となる。渋谷店までのジテツウで利用してる道だったので、アップダウンやコース上のコンビニなどがイメージできる。時折ランナーに抜かれることもあり、ペースをしっかり作っている方はみるみると姿が小さくなって行った。個人的には夜間でも1人で走るのが好きな僕はマイペースを貫きながら前へと走った。
ようやく熊野町の交差点へ到着し、山手通りに出て広くなった歩道を走って行く。要町の交差点を過ぎれば椎名町。その先は一人暮らしをしていたことある南長崎の近くを通る。まだまだ雨は強く止まることを許されない感じだ。新宿のチェックポイントまでは止まらずに行くことを決めたが、トイレ休憩を必要となってきたので目白通りとの交差点でコンビニを利用する。ここでも特に食べ物の補給をせずに先を急いだ。
ここまでザックの中に入っている地図を開いていない。頭の中に入っていた小江戸のコース。そして国道254号線をひたすら進み、熊野町を右折して新宿都庁近くがチェックポイントと頭に入れていたからだ。
しかし山手通り沿いにエイドがあったのか、1本路地を入らなくてはならなかったのかがわからない。前を走るランナーを目線の先に入れながら走って行く。チェックポイントの新宿の成願寺には午前5時30分に到着した。この時点で何キロ地点なのか、次の関門の制限時間はどれ位なのか全く頭に入っていなかったのは反省すべき点だ。温かいものを頂きカラダを休める。距離が分かっていないので、長いなあ。間に合うのかなあと不安に襲われる。痛みが出てきている右足首が疼く。
ボランティアの方にはたくさん知り合いが多く、『まだまだ十分間に合うから大丈夫だよ!』と言って頂いたので、マイペースで行くことを決めた。お寺の地下の暖かい部屋で過ごしていると、眠気が襲ってくる。雨足は衰えることはなく降り続けている。時折間隔を開けて入ってくるランナーからそれが伺えた。そこへ知り合いのランナーの方が到着。市村さんと新井さんが一緒に入ってきた。市村さんとは過去甲州夢街道などでもご一緒した。お店にもよく足を運んで頂き色々な話をした。昨年の大会でも鹿島古墳群辺りで並走しておしゃべりしながら走った。今年も先行されていると思ったので、後から来たことに少し驚いた。新井さんはクリニック以来のお付き合い。頭に巻いたバンダナは既にトレードマークとなっている。24時間はじめたくさんのウルトラレースに参加している。少しお話をしてから午前6時前に出発を決めた。ジッとして居ても進まない。

次は都庁前での写真撮影、そして代々木公園を抜けて表参道から六本木を目指す。そこまでのコースは頭に入っている。山手通りを進み清水橋を左折して都庁前へ向う。先週東京マラソンでスタートした地点へぐるっと回り込んで写真を撮った。前後にはランナーの姿はなく不安になったが問題ない。再び山手通りを目指して走り出すと先に出たランナーが反対方向からやって来た。事前の下見や土地勘がないと迷ってしまうかもしれない。時間的にも夜通しランとなっているので体力を消耗させる。
山手通りに戻ると甲州街道の初台を抜けて行く。外は段々と朝を迎えて明るさを取り戻してきていた。運動強度は全く高くないが、継続して動き続けている。しっかりとした食事は、家族と食べた牛丼が最後だ。雨を理由にコンビニも立ち寄らず飲み物中心となっていた。お腹は空いていなかったが、明らかに足りていないのを今振り返ると感じている。
代々木公園に向けて山手通りを左折して登り坂に入って行く。午前7時ではあったが原宿駅周辺には女性ランナーの姿が多く見られた。そう、3月2日は表参道ウィメンズマラソンの開催があったのだ。会社のスタッフも金曜日の夜から会場で準備に向かっていた。 そんな会場を横目に原宿を通過すると新宿でお会いした市村さんが軽快に走って行く。表参道の下りに差し掛かると一気にその姿は小さくなって行った。こちらは明治通りまでは走れたものの、青山通りまでの登りはゆっくりと歩いていく。青山通りから外苑前に向かって左折して外苑西通りを右折するのだが、会社が近いので迷うことはない。
足の痛みは収まることはないが、まだ昨年のように歩けない状態までにはなっていない。気持ちを切らさずに進んで行く。市村さん達もある程度の距離で見える位置となり合流した。そしてさらに後ろからはオレンジマンの湯藤さん等が到着。今後の時間の経過を確認しながら走り出すが、やはり着いて行けない。六本木に出るとハイアットに向けて路地を入る。写真撮影のチェックポイントとなるが、この後のルート地図を見ないと分からなそうだったので、湯藤さん等を追い掛けた。ここで後方からチーム鳳の方が声を掛けてくれてリーダー竹田さんの話で盛り上がった。
ハイアットからの下り坂でも置いていかれてしまったが、なんとか集団を見逃すことなく次のチェックポイント東京タワーを目指した。次の曲がり角は赤羽橋とわかっていた。左手に東京タワーを見ながら歩いては走りの繰り返しとなる。道は平坦なので歩き続けることはない。信号待ちをしている間に追い付いたり、信号で置いて行かれたりを繰り返す。赤羽橋を左折していよいよ東京タワーの麓へとやって来た。写真を撮り会話をしている皆さんが『来た来た!』とにこやかに迎えてくれる。すれ違いながら次のこあしすエイドへと歩き出した。一方の僕はノッポンの写真を撮って下のアングルから東京タワーも入れて撮影した。ゆっくりしている時間はない。前の皆さんの姿を見失わないように先を急いだ。
東京タワーを後にして一体今何キロなんだろう?と考える。関門時間には問題ないと考えるもあまりにも無計画だ。日比谷公園の沿った道に入り、信号の度にストレッチを繰り返しながら進んで行く。なかなかペースを維持できていない。この先は歩きがもっと増えてしまうと思うと立ち止まってはいられなかった。
集団の姿はかなり小さくなり、皇居に出て祝田橋の信号で1回分離されてしまった。皇居を1周する途中にこあしすエイドがある。まずはあと2キロと思って走って行く。余裕があればアートスポーツ日比谷店に顔を出すつもりだったが、そんな余裕は全くなかった。時刻は午前8時を過ぎて、天気は雨が降らない時間が続いている。予想よりも天気が良くなっていたので皇居には数多くのランナーが走っていた。周りのランナーに押されるようにとりあえず走っていないとカッコ悪い。なんとか気象庁が見えてきた先に誘導員の方の姿が見えた。信号を渡り、首都高速を抜けて左折するとまた誘導の方が迎えてくれた。こあしすエイドに到着だ!
到着時間は8時40分くらいだっただろうか?前を行っていた市村さん達も補給をして休んでいた。室内はメイドカフェ風のコスプレ軍団がたくさんいた(笑)疲れのせいでうまくツッコミを入れることは出来なかったが、煮麺を頂きカラダを温めることができた。置いてあったドライフルーツが異様に美味しくてマンゴーや梅などを頬張った。トイレ休憩を済ませて出発準備を整える。次のエイドは東京スカリツリー下の春慶寺で制限時間は12時だということを確認した。出発は午前9時だ。
写真を撮って頂き皇居へ向けて平川門へ向う。ちょっと前に出た湯藤さん等を信号の関係でかわして竹橋の登りに入る。元気も出て先程よりも走れるリズム重視と落ちてきたペースを回復するためにもゆっくりながらも登りも走っていたが、高速の入口までしか保たなかった。千鳥ヶ淵公園までの平坦では、後ろから来る皇居ランナーの背中を追い掛ける形で必死に走ろうとしても足首の痛みがそれを邪魔した。
千鳥ヶ淵公園から半蔵門へ左折して少し行ったところで女性に声を掛けられた!『あれ!?鈴木さん?』いちごオ・レの恭子さんだ!大江戸参加のイトーさん達の応援で駆けつけてくれたようで、有美さんが無事浅草でミッションに向けてレースを離脱したことを伺った。その後応援も含めて皇居ランをしていたところ偶然見つけてくれたという。歩きっぱなしでは申し訳ないので少し走っては痛みが走るのでまた歩く。恭子さんは『痛くないですよ!笑顔で笑顔で!』と励ましてくれる。確かに下ばっかり向いていたら気持ちも滅入ってしまう。少しずつリズムを取り戻してなんとか祝田橋の交差点まで戻って来た。この後はグルグル皇居50キロを走っちゃおうかと検討中の恭子さん。今日の天気予報では日中は雨は収まる情報も頂いて別れた。祝田橋から日比谷交差点を左折して日比谷通りを行く僕はのことを石垣で姿が見えなくなるまで手を振って見送ってくれた。頑張らなくては!ありがとうございました恭子さん!
余裕のない僕はアートスポーツ日比谷店を回避。一路東京駅を目指して走る。駅前ではルートの確認で立ち止まっていると女性ランナーが『このまま駅に向かって真っ直ぐですよ、この先のなか卯に寄っておしまいにします!』と教えてくれた。また一緒にいた男性ランナーも『東京駅から川越までは電車でどこで乗り換えたら良いかな』と徐々にリタイアの誘惑が迫ってくる。さすがに都心に入ってからは電車も動き始め、ターミナル駅を通ると川越までの楽なワープ方法を考えてしまう。しかしまだ諦める時間ではない。僕は日本橋を目指して永代橋通りを右折して前を目指す。
日本橋を抜けてコリドー室町を右折して両国方面へ。ちょうど角にセブンイレブンがあったので、トイレ休憩と補給を兼ねて立ち寄った。ここではマラニックでは定番の4連ミニクリームパンを購入。午前10時を過ぎさすがにお腹も空いてきた。ここまでの補給の少なさが水分ばかりに反動として跳ね返っていたので、お腹の状態はピーピー!歩きながらしっかりと4つを完食。大通りを走っていると正面に総武線が横に走って行く。あれ?おかしいぞ、浅草橋だ。本当は総武線と並走して隅田川を渡らないといけないのに。下見をしていたが反対側の歩道に渡ってしまっていたのでそのまま進んでしまったのだ。大したロスはなく、すぐに両国方面へ方向転換した。
ここで初めて地図を取り出した。両国駅を抜けてからちょっと細い道を行く。また昨年とエイドが変わっているので、確実に走りたい。ミニクリームパンを食べてからガラリと走りが変わった!痛みの出ていた右の足首には負担の掛からない走りに変わった。これは体力が低下していることに因って姿勢の維持ができなくなっていたものと考えられる。
蔵前橋通りに入ってからはぐんぐんペースが上がる。エイドまでの距離はわからなかったが、東京スカリツリーは確実に近づいている。11時を過ぎたばかりだったので、12時の関門時間には問題ないことを確認した。さっきまでの痛みはどこへ?という走りになり、東京スカリツリーに向けて左折するとあとは真っ直ぐだ!歩道は凸凹で走りにくい一方通行の道を行く。スカイツリーのてっぺんは雲の中に隠れていたが、時折風に煽られてその姿を見せてくれた。突き当たった道を右折して進むがお寺的な建物はないが、看板と誘導員の方を見つけて到着した。
ここでも市村さん・新井さん・湯藤さん等と新宿と同じ顔ぶれに。姿が見えなくなっていたので『さすが!来たね~!』と迎えてもらった。呼吸も上がり一旦腰を落ち着かせて先に備える。時間の確認をしたと思うがはっきりと覚えていない。この先は浅草・御徒町・本郷三丁目・駒込・王子・赤羽とよく知っている場所を行く。まずは市村さんと新井さんと一緒にスカイツリーの脇を抜けて浅草寺を目指した。
言問橋までは一緒に行けたが、先程の反動もあり脚が進まない。前方に2人の姿を確認できる位置で付いて行く。雨も上がって昼時の浅草寺周辺は観光客の人でいっぱいだった。その中を小走りに走り抜けて行く。そして浅草寺本堂を写真に収めて歩き出した。市村さん曰く『ここで急いで観光客とぶつかったりトラブルがあって困るからね。』伝通院通りから仲見世を避けて進んで行く。この先は春日通りに出るまではまだ人通りも多い。すれ違う人達が右脚に付けたナンバーカードに目線をやるのを気にしながら歩いて行った。
春日通りに入ってからもなかなかスイッチが入らない。またガス欠か?御徒町までが長く、コンビニ利用も考えたが先を急ぐ気持ちで立ち寄らなかった。またこの時点で本郷三丁目のマクドナルドで買おうと決めた!御徒町にもアートスポーツがあるがまたまた立ち寄る時間もなくスルー。上野広小路の人混みをゆっくりと歩く。湯島天神からは登り坂となる。30メートル走って歩くを繰り返しながらようやく本郷三丁目に到着した。
ここのマクドナルドを選んだ理由は注文のカウンターが道路に面していること。店内に入らずに注文できる。汗臭いカラダで待つのは嫌だったのでここならば問題ない。空いているかと思ったが意外と人は多く、ダブルマックを注文して出てくるまで5分ちょっと掛かった。ここから国道17号戦に入ればアートスポーツからの帰宅ランコースだったホーム。しかしルートは駒込へ向けて直進となる。王子周辺は大学時代のホームコースだ。平坦な道が駒込駅まで続くが、ダブルマックを食べてからもなかなかそのリズムは上向くことはない。ゆっくり休養と補給ができていないのも悪いリズムを作っている理由なのか。

制限時間に関しては確認することはなく、歩きっぱなしでは無理だろうという意識の中で前に進む。駒込を過ぎると一旦下ってから登り、飛鳥山を通って王子駅前までは下り勾配となる。キロ10分は死守するイメージで走りを混ぜていく。王子駅前の立ち食いそば屋さんで補給を摂ろうか迷ったが、時間節約を優先してスルーした。このあとは北本通りを北上し、宮堀の交差点で環七を左折して東十条から赤羽に向かう。王子からは下見をしていたので環七までは近く感じた。
宮堀で前を行く方が迷っていたので進行方向を指差してお知らせした。ここで自販機を利用して温かいコーヒーを飲んで一息ついた。また京浜東北線を渡る環七は登り坂となるので歩いて進む。この通りにガソリンスタンドがあり、店の前に立っている呼び込みの店長らしき男性の動きを後ろから見て笑ってしまった。機敏な動きとオーバーなジェスチャー!絶対に名物店長に違いない!誰かに教えたいほど面白い動きだった。家族にも見せたかったが日常生活で環七まで来ることはないので仕方ないなあと思い男性の前を歩いて通る。その時も安全を確保してくれるが至って冷静(笑)通り過ぎると再び車に向かってのアクションが始まるので本当に楽しかった。何度も振り返っては失礼なので坂を登り続けた。
登り切った先の歩道橋を右折して下り坂を赤羽方面へ。次の赤羽駅にもなか卯があるが、一旦コースを逸れないといけないのでイトーヨーカドーを左折してトンネルへ向かった。この時点で14時30分。20時の川越の制限時間にはギリギリの状況になってきた。このトンネルは車専用、自転車も通れない。ランナーは脇の階段を登り赤羽台の上を進む形だ。
なんとかヨタヨタと階段を登り遊歩道を抜けてからは細かなアップダウンは続く。既に歩きがほとんどになっており、早歩きか下りの部分を惰性で走る程度だ。右足の痛みは足首の付け根から少しずつ上がってきた感じで、スネの下に痛みを感じるようになってきた。北赤羽に向かって大きく下っていくが、走りながら痛みの出ない動き方を探りながら進む。北赤羽からはほとんど平坦な道が続き、高島平からは河川敷だ。このペースでは間に合わないかな?と少しずつ諦めモードが入ってきたのもこの辺りからだ。
ランナーも前後にはいなくなり、歩いていても追い越されることはない。浮間舟渡から国道17号線を抜けて笹目橋方面へ向う。この辺りは周辺に店も少なく、歩いている人も少ない。倉庫が立ち並ぶ道を抜けて新河岸川に架かる橋を渡ると、高島通りと都営三田線と並行する裏道に入る。このまま突き当たりまで行くと左右にコンビニがありいよいよ河川敷となる。羽根倉橋までは一切自販機もない河川敷なので補給はそれまでに済ませなければ。
このままではいけないという意識の中走ってみるが、既に足の痛みが収まることはなかった。明らかに腫れてしまっている状態。押すと痛む。足の指を掴むことが出来ない。骨まで傷めてしまったかも?という不安が湧き上がってきた。この先無理して怪我をしても仕方ない。昨年よりも走れたし良かった良かった。でも高島平で止めても都内経由で戻らなくてはいけないので、河川敷を歩こう。家の近くとなる秋ヶ瀬橋か頑張っても羽根倉橋のエイドで終わりだなとレースを諦めた自分がいた。
高島平のコンビニ到着前に家族に打ったメールがある。
15:45 高島平到着。走れない羽根倉までかな?もしくは秋ヶ瀬かな?とりあえず羽根倉でお願いします。
この気持ちでレースを走れるはずもなかった。もう切れてしまったのである。

すると前方にコンビニから出てきた市村さん他6名のランナーの方達が集まっていた。またもや『鈴木さん来た来た!(笑)』と迎えてくれた。しかし僕は『もう走れないので行けるところまで行って止めようと思います』と。皆さんからは『まだ大丈夫大丈夫!うちらも走らず行くから間に合うよ!羽根倉橋の関門は18時だから、ちょこちょこ走れば絶対に間に合うって!』この時点で16時を迎えようとしていた。『2時間で10キロだよ!平気平気!』『いや、全然走れないんですよ。皆さん頑張ってください!コンビニでとりあえず補給してから行きます!』皆さんの残念そうな顔を見ながら健闘を讃え握手を交わした。
セブンイレブンに入りこの後の分の食料を調達。ミニクリームパン4連とチョコディニッシュそしてドリンクをぶら下げて店を出た。ここから河川敷まで向かう間に前を行く方々が見えた。その距離100メートル。土手を登る階段を越えて行く姿を見送り、3分遅れ程度で土手に到着。登って見回した先に走り出した姿を見ることができた。
『あ~、やっぱり走り出してる。あのくらいでもゆっくり走っていないと間に合わないよな』と少しずつ遠ざかる背中を見て思った。コンビニの袋をぶら下げながら、パンを頬張りながら歩いていった。笹目橋をくぐり抜けて行ったところに私設エイドを出してくれている方がいた。前の集団が立ち寄りおしゃべりをしている間にその距離は30メートルまで縮まった。この寒い中男性の方が2人チョコレートなどのお菓子を用意してくれていた。『寒い中ありがとうございます!』『ご苦労様です!完走できますよ頑張ってください!食料しっかりありそうですね(笑)』『前の方達は完走されるんですけど、僕はもう行けるところまででゴールには間に合いませんよ。走れないので。』『いやいや大丈夫でしょう!行けますよ!頑張ってください!』『ごちそうさまでした!』と挨拶してエイドを離れた。

前を向き再び見えるランナーの背中を見て思い出したかのように気持ちが湧き出してきた!『なに諦めているんだ。まだゴールを目指す人がそこにいるじゃないか!これで止めたら去年と何もかわっていない。200キロで諦めていたら、来年の川の道なんて参加できない!行けるところまで行こう!』と悔しい気持ちが湧き上がってまた前を向いて走り出すことができた。残っている食料をバックにしまってスタートする。追い付くことは当然できない。継続的に走っているのに対してこちらは20メートルがやっとの状態。徐々にその背中は小さくなっていった。次の橋は東京外環が走る幸魂大橋だ。真っ直ぐな道を抜けて朝霞水門に向けて土手の上へと登っていく。
天候の影響と夕方になってきているので荒川サイクリングロードにもサイクリストの姿はほとんどない。たまに練習をしているランナーが追い越していき、折り返して戻ってくる。知っている道だけに距離を感じる。朝霞水門を抜けてからは一旦河川敷に降りないと武蔵野線を越えることはできないので、前方のグループの動きを確認して見たが土手上を進んで行った。自分も朝霞水門に到着し迷ったが、姿を確認できる上を選んで進んで行く。一旦盛り上がった気持ちも走り続けられないことで下降気味に。冷たい北風を正面から受けながらやっぱり秋ヶ瀬橋辺りがリミットかなと決めはじめていた。
朝霞水門から100メートルほど進んで後ろを振り返ると2人のランナーの姿が見えてきた。その距離は徐々に縮まり、そのシルエットからスーツ姿のkonさんだと確認できた。富士五湖や野辺山でもご一緒しているサラリーマン姿のランナーだ。今回はビジネスかばんにハイドレーションを搭載してここまで走ってきている。こちらは歩いているだけ、後ろも走ってはいないのだが姿はみるみる大きくなってきた。konさんを見掛けたのは前半の平成の森公園手前。36時間掛けて戻って来ますとFBで確認をしていたので、この時間に来たことで納得した。konさんはしっかりとゴールを見据えて走っている。追い付かれてから会話を交わす。『いい所にいますね。さすが!』『いやもう走れないんで、ゴールしてくださいね!』『大丈夫ですよ!頑張りましょう!』と背中を見送る。20メートルくらい離れると電話が鳴った!HANA(妻)からだ!前方の土手の脇にハザードランプが見えてきた。まだ武蔵野線も越えていないがここまで来てくれたのだ。
そして薄暗くなってきた中、土手を登ってくる子供達のシルエットが見えてくる。『お父さ~~~ん!頑張って~~!』と大きな声が辺りに響き渡る。konさん達にも声を掛けて応援する。トボトボと歩きながら家族の元に辿り着いた。
『どう?大丈夫?』『とりあえず羽根倉までは頑張るよ!』と伝え『ありがとう!』と先へ進む。前を見ると土手の上はやはり行き止まりになっており、前を行くkonさん達も工事のフェンスを伝って下へと降りて行く。続いて僕も降り出すがあまりに地面がぬかるんでいて背中から転倒して尻もちをついた!家族は既に土手の下へ向かい羽根倉橋向かい出していたので見られることはなかった。(笑)背中に背負った食料だけ入ったバックがクッションとなり大事には至らず、お尻とバックが泥だらけになっただけと思われる。なんとか下まで降り切って走り出した。家族の応援を受けてさすがに『もう止めるから川越まで乗せて行って』とは言えない。正直ありがたい!『もう走らなくてもいいかな?』と思ったが、父の頑張りを東京マラソンに続いて見せなくては!と奮起した。しかし終わりは羽根倉橋と自分で確実に決めていた。

武蔵野線をくぐり秋ヶ瀬橋までやって来た。ここはそのまま下を抜けることは出来ない。いつも自転車通勤に使っていたルートなのでわかっていた。konさんとは100メートル以上離れていた。秋ヶ瀬橋をくぐってから左の坂を登らなくてはいけないところを直進していたので大きな声で『左ですよ!』と叫んだが聞こえなかったようだ。そのまま直進すると障害物があり自転車は抜けることが出来ない。僕は土手の上へ登りながら時折見え隠れするkonさん達の姿を追った。心配とは裏腹に障害物をすり抜けることができ、しばらくしてから合流することが出来ていたので安心した。
次の羽根倉橋まではあと何キロだろう。遠くに橋の電灯が見えている。さらに小さくなるkonさん達の姿。暗くなる中、土手の上は冷たい向かい風も戦意を喪失させる。あと45分くらいだったろうか、18時関門の羽根倉橋と今のキロ15分ペースを見比べながら間に合わないなと感じた。エイドは川越・富士見道路の入口付近にあると勝手に考えていた。そうすると信号を渡ってなんだかんだ3キロとしても45分では無理だ。走ってもいないし、もう関門に間に合うのは無理だとレースを完全に諦めた。
しかし遠いなあ。でもあそこまで行けば良いんだ。去年は98キロ位だったけど今年はとりあえずここまで来た。痛みの始まった川越からよくここまで頑張ったな。もっと手前で走れなくなると思ったけど、東京駅以降復活してなんとかなった。それからスカイツリーまで行って市村さん達にも追い付いたのに。浅草以降歩いていたからこれでは間に合わないよな。とレースを振り返り歩き続けていた。すると羽根倉橋よりも手前に家族の応援が待っていた!羽根倉橋はあと1キロちょっとまで迫っていた。『お父さ~~~ん!頑張って~~~~!』HANAから『エイドはもうすぐだよ!あの灯りがそうだから!』と右側に見える橋ばかり見ていたが、土手の先の左側にテントとライトが見えている。相当時間歩き続けていたので『もしかして間に合うの?』と自分の中で驚いたが、『間に合っちゃうんだ・・・』と思う自分も居た。正に悪魔との葛藤だ。もちろん家族の前で『もういいや。止めるよ。』とは言えず、ライトの元へと急いだ。
先行していたkonさんと僕と合わせて4人のランナーが羽根倉橋エイドに居た。到着は17時55分。さすがに制限時間は無理な話だ。テントではカレーうどんを用意してくれており、冷えたカラダに染み渡る美味しさだった。konさんから『あと13キロで2時間ですよ!諦めずに頑張りましょう!』と励まされ、先を急ぐ背中を見送った。高島平から2時間以上掛かっているので、制限時間内ゴールは諦めてとりあえずテントを出発した。先に出たkonさんは前方の信号を渡り切るとものすごい勢いで走り出した。僕は次のタイミングで渡ることを前提に歩いて信号まで進む。
ここで冷静に考える。あと13キロで2時間だから、120分・・・無理だよな、ここまでそれ以上掛かっているし。1キロ10分じゃ間に合わないな・・・待てよ。キロ9分ならば間に合うんだと思うと、いつものサロマ湖のラスト10キロと一緒じゃないか!と。信号が青になり、左折して橋を下って行く。惰性で走り出しながらペースが上がる。もしかして間に合う?行ける?走れる?と気持ちにスイッチが入った瞬間ペースが上がっていく。そして平坦になってからもその走りを維持して、バイパスへの交差点を目指した。車では何度も通る国道463号線だがやはり距離感が違う思ったよりもかなり行かないと辿り着かなかった。
ここから先のバイパスはほぼ平坦。正直河川敷と変わらない。高校生の頃は有料道路で東松山の駅伝コースにバスで移動したのを覚えている。途中には富士見ガーデンプールなどもあり、夏休みには家族と楽しんだ場所も近い。しかし今は日が暮れて辺りは真っ暗。バイパスなので歩道の街灯もないが対向車のライトに照らされて、自転車と歩行者の目印が見える。時折日中から夕方に掛けて降った雨の影響で水溜りができていた。
ペースの感覚としては気持ち的にキロ6分だ!それくらいしっかり蹴り出して前へ前へとカラダを運んでいく。実際はそこまでのスピードは出ていないが。痛みが出る部分はやはり右足。足首の曲がる部分ではなく、スネ下まで痛みの部分が上がってきていたので、ズキッという痛みが走る!また右膝の内側に痛みも出てきた。歩く時間が長くならないように得意の電柱走りで一定のリズムを作る。ここでやってはいけないのが、ハンガーノックだ。ペースを上げながら何も摂らないと絶対にハンガーノックがやって来る。そこでショッツを取り出してグイッと1本飲み込んだ。確実に心拍も上がり消費エネルギー量も高い。一旦落ちたら戻すのは大変だ。これは通常のウルトラマラソンでも言えることだ。
何キロ進んだのか全くわからない状況だった。とりあえず富士見ガーデンプールには辿り着いていない。スタートしてから川島さんに伺った目印のK's電気は当然ながら見えない。反対側車線を愛車スパイクで追い抜いて行く家族の声援を受けてペース維持を頑張った。しかし行けども行けども変わらないコース。このペースで走っても前を行くランナーの姿は全く見えなかった。ズキズキと右足の痛みの感覚が短くなる。蹴り出しの時に痛みが強まるので、猫背にならないように拳の上に親指を乗せて腕を引く。脚を真下に置いてブレーキを掛けずに走る。しかし今回の痛みはスネの部分なので着地時の痛みも増してくる。浮かせれば膝の内側が痛い。ゆっくり走っても変わらないので、腕でドンドン前へ進んでいった。
信号待ちになると痛みのある部分に手を当てる。明らかに腫れている。足首は着圧ソックスで細いのに、その上が浮腫んでいる感じだ。触ってみればもちろん痛みがある。骨まで傷めている可能性はある。疲労骨折などだ。35時間も走っていれば仕方ない。叩いてみると痛みはあるが大丈夫そう。剥離骨折の経験はあるので押してみたがそこまでの痛みはなかったので安心した。ある程度進んだと思われるコンビニで家族が待っていた。あと7キロ地点くらいという情報をくれた。時計に目をやるとまもなく19時を迎えようとしている。キロ6分だと思っている感覚も歩きが入っていたり、実際にはカラダは動いていないのだろう。あと7キロということは8分で56分。9分では63分。しかし残りの距離が7キロジャストというはずもない。まだまだ貯金はできていない。強いて言えば、スタートまでに掛かった時間は還元してくれるのだろうか?スタートには約8分掛かった。これが考慮されるのならばなんとかなりそうだが、まだまだ信号待ちもあり、痛みも増しているので安心は出来ない。気持ちを切り換えられればここまでまた走れるということを学び、気合いを入れ直して走り出した。
ようやく富士見ガーデンプールの近くの橋をくぐり抜けて川越までの距離感が掴め出した。それにしても真っ直ぐ過ぎる道。キツイなあ。でも歩いていたら間に合わなくなる。この小江戸大江戸を2年連続でリタイアしていたら、来年挑戦予定の川の道520kmは到底無理な状況だ。諦めてしまう気持ちが出てこないように必死に抑えた。この大会をなんとか完走して自分の中の出場権を獲得したい気持ちでいた。
前方に立体交差が見えてきた。そろそろ川越か?いやでもK's電気も見えないし、目印のホテルもまだ見えて来ない。再び家族が信号待ちのところで抜かしていった。スマホのGPSを使っても良いのだが、あいにく電池切れ・・・。余裕はないのはわかっていたのでとにかく坂道は歩いたり走ったりを繰り返す。平坦はなるべく走る形で進んでいった。
次に見えてきた坂道の先にK's電気とホテルが見えてきた。そこからは更にペースを上げる!前を行く女性ランナーが見えてきた。歩いている様子だったので、声を掛けることもなく抜かして行く。先程よりも踏ん張る脚に走る痛みは増していった。距離があと何キロ残っているのかわからない。時計は19時48分をまもなく刻もうとしていた。信号待ちのタイミングで地図を取り出してコースを確認する。すぐに地図をしまって走りに集中する。立体交差の脇道からホテルに一直線。国道を渡る信号が変わってしまったら相当な時間を要するだろう。2段階で渡らなくてはいけないのだが、150メートル先の向かう先の信号は既に青。ここで捕まるとこちら側に歩道はない。猛ダッシュで信号を目指して点滅する前に1つ目をクリア。しかししばらくしても国道254号線の信号は変わらなかった。飛ばす必要はなかったのだ。仕方ない、ストレッチするも痛みがあるだけで気持ちの良いものではなかったこの先は立体交差をくぐり右折して歩道橋を左だ。ようやく変わった信号を渡り水溜りを避けながら右折する。すると歩道橋の所に誘導員の方がいた。

『あと1キロだよ!突き当たりまで行って信号を右折したらゴールですよ!まだ間に合うよ!』『ありがとうございます!』時計を見ると19時50分を過ぎたところだった。とりあえず一旦歩いて呼吸を落ち着かせ、体力を回復させてあと1キロに備える。ここからの歩道はちょっとした段差があり走りにくい。時折車道側に降りてペースを上げる。あと1キロが遠い!頑張っても頑張っても曲がり角が見えてこない。ランナーもいないし前方に信号も見えない。どこまで行くんだ~!時計とにらめっこしながら19時57分を過ぎようかとすると暗闇の中から『パパ~!』と声が聞こえる。『もう少しだよ!頑張って!』時計はもうまもなく20時を経過しようとしているが、信号は見えない。ようやく見えてきた誘導灯の前の信号は赤。先に右折して道路を渡り、ゴールへと向かう。

やっと帰って来たゴールの川越蓮馨寺!『おかえりなさい!』時間は20時を過ぎていた。手元の時計では3分を経過したところだ。『ウエーブスタートは何分だった?』『8分くらいです!』『じゃあ大丈夫だと思うから早くタッチして!』と建物の前にあるゲートをくぐりセンサーにタッチした。ようやくゴール!手元のストップウォッチは35時間55分を示していた。『あっやっぱり帰ってきた!よく間に合いましたね!』と市村さん・湯藤さん・konさん他、高島平で別れた皆さんと挨拶を交わす。『皆さん姿が小さくなっていくのを見て、諦めてしまう自分に悔しくなって必死に追い掛けました!ありがとうございます!』家族も後からゴール地点に到着し、『大丈夫だった?20時過ぎていたよね?良かった!お疲れ様でした。気持ちも落ちた状態からよく頑張ったね。見ててもダメかと思ってたよ。』自分でもあの諦めた荒川から良く間に合ったと思う。1人だけで走っていたら秋ヶ瀬橋で家族に拾ってもらうまで歩き続けていた気がする。あの高島平のコンビニで皆さんに追い付けたことがゴールに繋がった。ウルトラマラソンを21年続けているがまだまだ未熟な自分がいました。それを実感できたこともプラスに考えたい。これでようやく川の道に正式にエントリーすることができそうだ。今回の小江戸大江戸の倍以上の距離。一筋縄でいかないが、今回の諦めない走りが必ず次に繋がると感じた。
一方でレースに対しての無計画だったことに関しては多いに反省しなくてはならない。計画がないということは走り切るつもりはなかったのでは?と自ら感じる。どうにかなるさではどうにもならない距離だけに、この部分の反省はとても大きい。100キロならばいつも参加している大会でも自ら完走記やリタイア記を読み返してイメージトレーニングを必ず行う。想定よりも悪くなっても大丈夫だったことを確認し、何時までに通過してキロ何分で走れば良いかを知ることで、今回のような失敗は軽減できる。もう一度この完走記を読み返して気持ちを奮い立たせて、残りの今シーズンのレースに挑みたい。
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最後にたくさんの皆さんと長い時間を共有することができました。アートスポーツを離れ、ランナーの方に会う機会が少なくなってしまいましたが、やっぱりしゃべるのが好きです。一緒に共感して、一緒に楽しんでこれからも走り続けたいと思います。お店に立っていることはありませんが、ブログ・FBでもよろしくお願いします!ありがとうございました!


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